行ってきた。感想書きます。いつも通り言語化能力が低いです。
kyotocity-kyocera.museum
概要と解説は以下の美術手帖のWeb記事が詳しい
bijutsutecho.com
美術展の概要(公式HPから引用)
地球環境への意識の高まりやテクノロジーの進化など、人間社会のあり⽅が⼤きく変化する現代は、新たな視点が求められる時代だからこそ、人間こそがなしうることの重要性が改めて問い直されています。
(中略)
本展では、過去と未来、自然と人⼯、情報環境と実社会といったさまざまな関係性を軽やかにつないで再解釈する彼らの作品や活動から、世界が直⾯する激動の時代に求められる「創造へ向かう跳躍するエネルギー」が鮮やかに浮かび上がることでしょう。
「テクノロジー」「想像」「創造」の単語に興味センサーが引っかかって観ることに決めました。概要を見返しても正直よくわからないが、作り手自身がとらえる世界の変化を作品に落とし込んだものが観れる企画展と解釈しました。
にしても「創造へ向かう跳躍するエネルギー」とはなんだろう。
「(作り手が)創作へ向かう(=創作したいと思う)、跳躍する(???)エネルギー(意欲)」
概要と繋げて考えるとつまり、変化が激しい世界において人間が変化の中で求められる事項を示したいという創作意欲のこと?
この展示会は「跳躍」がメインテーマなんだろうけど、ここをハッキリ理解できなかったゆえ自分は今回の展示会を十分に理解できたとは言えないように思います。
本展示会においては写真撮影・Webサイトへのアップロード可とのことだったので参考に撮影した写真を掲載する。
TAKT PROJECT:glow⇆grow: globe
球体には光で硬化する液体樹脂が流し込まれている。(おそらく)ランダムに光量を変化させるLEDにより鍾乳石のように硬化される。その形状は作家も我々も制御しようがない
出来上がる形状が制御ができないありさまは、液体=自然、光=科学技術ととらえると、科学技術により自然が結果に至るかは人間により制御ができないことを暗に示しているように思えました。
見方を変えてひとつのLEDのユニット(遠目で見ると丸型になっているもの)がひとつの都市と考えたらどうでしょう。下の細長く伸びて行っているものは摩天楼に見えてくる。時を経るにつれ、少しずつ少しずつ高さを伸ばしていきます。
この球はもともとこのような棘のない球体だったはずです。それが人間の営み、すなわち人類の科学技術の進歩によっていびつな形になっていく。この球体は最終的にどのような形になるんでしょうか。それはもはや球とは言えないように思えます。
長谷川 絢:君牴牾
竹本来の姿をバラバラにして編むことは、考えることと一緒。この説明に少し発見がありました。織物は物質を糸という形式まで分解して、それを組み合わせてまったく別の姿にしていく。
考察の過程も同じようなものかもしれないです。人間の外部にある事象は、人間の五感を通じて事実という一つの形に分解される。人間は、その認識をひとつづつ事実を積み重ねていく。積み重ね方は人それぞれ。最終的にどのような形になるのか人によって異なる。
それぞれの作品はあえて人と同じサイズにしているそうです。また、死と生というテーマも含ませているようです。
作者の意図は説明のボードに記載されていたかと思いますが、これらの意図をもとに勝手に自身の解釈を行うと、これはある人の人生とそれを再構築したものに思えます。
素材はその人の人生そのもの。人は死に、他者にとっての記憶という単位に分解されます。それを編み込むのは他の人間です。
記憶によってもその人すべてを再構築することはできません。なぜなら一度分解された素材、作品においては糸を紡いでも、姿は似せることはできはしても元の竹そのものを再構築できないからです。
写真にある一つの造形は、他者がその人に関する記憶で編み込んで作り上げた元の姿なのかもしれません。その緩やかに曲線を描く形状は、紡いだ人の記憶に基づく故人の人生を表しているように思えました。
岩崎貴宏:Out of Discover
額縁に入ったモノクロ写真のような造形が複数並べられている。各造形を近くで見ると木々は綿棒、地層はモップやタオルでできている。その自然の中に細い糸で電線や送電塔、電車の送電線が作られている。作品の前で移動しながら見るとそれらが遠近感をもって動いており、その風景を立体的に見ることができる。
これは立体感を楽しめた作品。自然を日用品で作り上げるという発想が到底自分に思いつかない発想で感服しました。しかもモノクロ写真のような風景がカッコイイ。
遠目で見るとどことなく郷愁というか、寂寥というか、そういった哀の感情が浮かび上がってきます。もうちょっと深い意味がありそうな、なぜ黒いのか、なぜ日用品でできているのか、なぜ送電線なのか。
こちらのサイトで
「鉄塔の足場は黒く染まった布や糸で、電気によって維持される現代生活の足場が、柔らかく脆弱であることを示唆する」
と解釈した記事がありました。自分もそのような意味でしっくりくる。この作品の隣にある、ごみで再現された都市の作品と組み合わせて解釈しているので納得度高いです。
雲は広島と長崎。送電線、黒い土壌、原爆、原発、原子力発電所のような建物、東日本大震災。そのワードですべてつながる。
でもそのワードの組み合わせで一気にメッセージが自分の中で陳腐化しちゃうんだよな、原子力政策とそれに対する警鐘。はいはいそういうやつねって。表現方法が目新しいといえども、メッセージがありきたりだと急に醒めてしまう。
細尾真孝+平川紀道+ 巴山竜来:cloud chamber
※これは作品そのものではなく補足説明としての物理シミュレーションの様子。縦軸時間、横軸空間。直線状の複数ある粒子の位置が粒子同士の衝突により位置を刻一刻と変えていく
物理シミュレーションの結果をそのまま織物にした作品。物理シミュレーションと織物をつなぐ発想が面白い。
髙橋賢悟:Re:pray
鹿の角にある花はアルミニウム製
生花を型にはめ込んで焼成、花が焼けて空いた空間にアルミニウムを流し込むことでアルミニウム製の花を造形したそうです。角もそうなんですかね。説明見逃しました。
祈る対象の自然そのものを造形したという。ここで示された自然はアルミニウムにより朽ちずに延々と残る。
自然は形を変えつつも構成要素は死と生を繰り返すものとは思うので、この作品のようにアルミニウムにより延々にその姿をとどめるというのは違和感があります。その生と死の一瞬を切り取った作品なんでしょうか。祈りはその自然の営みに対する祈りなんでしょうか。
八木隆裕+石橋 素・柳澤知明+三田真一:Newtons' Lid(ニュートンの茶筒)
鉄製の茶筒がくるくる回転する。位置によっては茶筒の蓋が自重により閉じたり開いたりする。少しでも狂いがあるとここまで滑らかに開閉するのは不可能であるから、製造の技術力はかなり高いことを伺える。
この作品に添えられたバックストーリーが最高におもしろい。
「100年後の未来。 形は同じだけれども、茶筒のもつ意味が変わっていった。 地球と火星など、他の惑星との間の無重力空間を旅するようになり、地球からの旅人が一番悲しくなるものが地球の重力となった。」
「そして、茶の蓋の下がる様が、その重力を感じるもの、いわば“重力のお土産”となり、人々の手から手へ渡されるものとなった。 人々は蓋が自重で下がるのを見つめ、望郷としての地球を思い出しながら、火星を目指した」
(展示会説明ボードより)
めっちゃいい。
高い技術力で作られた鉄製の茶筒が一定速度で滑らかに閉じていく様を見せているだけの作品なのに、このストーリーで一気に作品の持つ意味に奥行きがでました。
作家のインタビュー動画に、この作品を面白がりながら楽しんで創作したとあったので、このバックストーリーにも表れているのかなあと。
あれ、無重力状態で茶筒の蓋ってそもそも落ちるんだろうか....
火星への移動中は茶筒が落ちない気がする...
いや、きっと重力場発生装置がある宇宙船での利用を想定しているんだ
となると茶筒を通じて思い出す地球の重力は利用者にとってのオーガニック重力。いつかは自然の重力でこの茶筒が落ちるのを見たい。そういう望郷の念を抱いた宇宙旅行者へお土産。たぶん
TAKT PROJECT:black blank
スマホなどのテクノロジーにより鈍ってしまった人間に備わる自然を体で感じ想像する能力。かの宮沢賢治は創造において自然に身を置くことで心象スケッチという活動を行ったというが、果たして人工物もそれに足りえるのだろうか。という作品。
要は作品をありのまま見て色々想像力をかきたててくださいという作品だととらえました。
黑い液は磁性流体。柱の裏にはおそらく磁石があり、それが上下している。ある時は上昇を続け、磁性流体は水面から柱を伝って登っていく。その痕跡が柱に残っている。
水面から液体が立ち上がったりするさまがまるでいきもののよう。
なんで登っていくんですかね。そもそも磁力は何を表しているのか。うーん